思い出のスナップ「指宿枕崎線」~キハ28・58 時代~
前記事の最北端の地から、今回は一挙に「最南端」の地へ。
JR九州 指宿枕崎線の「枕崎駅」と「西大山駅」です。
(記録は 四半世紀くらい前)
未乗だった 指宿 - 枕崎間 の完乗を目的に、どうせなら再度
指宿枕崎線全線を通し運転する 西鹿児島 発 の 普通列車 で
完乗することにしたのでした。
当時全区間通し運転する列車は、5時、11時、15時、16時、
18時台の計5本のみだったため、駅近くのビジネスホテル
を宿にして、5時台の始発列車をターゲットとしました。
▼JR九州色 キハ58 + キハ28 に掲げられた サボ
▲「西鹿児島 ←→ 枕崎」の 往復標記 の サボでした。
小生世代には「西鹿児島」の名が 色濃く刷り込まれており、
現在の「鹿児島中央」の名は、いまいち しっくりきません。
朝5時前にホテルを出る訳ですが、当日の朝、ホテルのフロ
ントには誰もおらず、呼び鈴を何回も鳴らすも全くの無反応。
時間が迫ってきたため、部屋の鍵をカウンターへ置いて正面
玄関へ向かうも、今度は自動ドアの電源が OFF 状態・・。
幸い施錠はされてなく、ドアを手で開けて外へ出たのでした。
前記事の最北端の地から、今回は一挙に「最南端」の地へ。
JR九州 指宿枕崎線の「枕崎駅」と「西大山駅」です。
(記録は 四半世紀くらい前)
未乗だった 指宿 - 枕崎間 の完乗を目的に、どうせなら再度
指宿枕崎線全線を通し運転する 西鹿児島 発 の 普通列車 で
完乗することにしたのでした。
当時全区間通し運転する列車は、5時、11時、15時、16時、
18時台の計5本のみだったため、駅近くのビジネスホテル
を宿にして、5時台の始発列車をターゲットとしました。
▼JR九州色 キハ58 + キハ28 に掲げられた サボ
▲「西鹿児島 ←→ 枕崎」の 往復標記 の サボでした。
小生世代には「西鹿児島」の名が 色濃く刷り込まれており、
現在の「鹿児島中央」の名は、いまいち しっくりきません。
朝5時前にホテルを出る訳ですが、当日の朝、ホテルのフロ
ントには誰もおらず、呼び鈴を何回も鳴らすも全くの無反応。
時間が迫ってきたため、部屋の鍵をカウンターへ置いて正面
玄関へ向かうも、今度は自動ドアの電源が OFF 状態・・。
幸い施錠はされてなく、ドアを手で開けて外へ出たのでした。
▼早朝5時台の 始発列車 の車内は ご覧のとおり
▲ダブルエンジン音を堪能すべく 無条件で キハ58 に乗車
ホテルは連泊中でしたので、なんら問題はなかったのですが、
これがチェックアウト最終日だったら、精算も直ぐにできず、
予定していた列車にも乗れない、といった最悪のシナリオに
陥っていた可能性もあった訳で、早朝にチェックアウトとな
る予定の場合は、あらかじめフロントへお伝えしておかない
といけませんね・・。
▼指宿枕崎線車窓の ハイライト は 何といっても「開聞岳」
▲別名「薩摩富士」とも呼ばれる 山容 を 車内からパチリ
西鹿児島駅から 87.9Km、約2時間半で 終着枕崎に到着です。
▼枕崎駅にて
▲屋根がない吹きさらしのホームは未舗装で草が生えてます
かつては、鹿児島交通 枕崎線 の 始終着駅 でもありました。
なお、駅の設置自体は、鹿児島交通さん(旧・南薩鉄道)が
最初に行っており、あとから国鉄・指宿枕崎線側が私鉄駅に
乗り入れる、という構図でした。
そのため、駅舎や敷地は、2006年3月の解体まで、鹿児島交
通さんが 所有管理していたため、それまで 国鉄~JRさん側
が、駅施設などの使用料を支払っていたのでした。
▲パノラマ画像 (クリックで拡大します)
ホームの先端に建つ標柱は、長らく「日本最南端の駅」という
表記でしたが、沖縄のゆいレール開業の際に「本土最南端の駅」
とされました。
しかしながら「沖縄は本土ではないのか」という声が挙がり、
現在は「JR日本最南端の駅」という表記に 改められています。
機会あれば、今度は 開聞岳 を「海側」から 拝んでみたいです。
▲メトロカードに採用された 開聞岳 と 海岸 の組み合わせ画
思い出のスナップ「指宿枕崎線」~キハ28・58 時代~
おわり
おわり
コメント
コメント一覧 (2)
西大山駅に開聞岳、最高ですね 。
私は、8年ほど前?キハ47形「指宿のたまて箱」が営業開始してから寄ったのですが、その風景に心が洗われたような気がしました。
また訪れたい場所の一つです。
波浪規定
がしました