485系・489系 特急「はくたか」号(国鉄時代)

皆様の2021年の「初夢」は いかがだったでしょうか。
初夢に見ると縁起が良いとされる「一富士、二鷹、三茄子」
にかけまして、毎度一に掲げられる富士はたまには飛ばして、
2つ目の「鷹」にかけた列車の記録から、まいりましょう。


           *  *  *


上野と金沢を上越線経由で結んだ、特急「はくたか」号です。

「はくたか」号のルーツは、ディーゼル特急の「白鳥」号で、
登場当時の「白鳥」は、大阪ー青森間 の編成 と 大阪ー上野
間の編成を 大阪 - 直江津間 で 併結して運転されていました。

▼ディーゼル時代の「白鳥」号の編成

白鳥_DC編成
 (出典:日本交通公社 時刻表 1964.10)

1965年10月1日のダイヤ改正で、大阪ー上野間の「白鳥」号
を系統分離し 金沢 - 上野間の「はくたか」号が誕生しました。

ディーゼル時代の「はくたか」号の編成

はくたか_DC編成
 (出典:日本交通公社 時刻表 1968.10)

「はくたか」という愛称名は、立山の開山伝説(白鷹伝説)
に登場する白い鷹「白鷹」が由来となっていますが、実際
に「ハクタカ」という種類の タカ は 存在しません。

「白鳥」から独立した4年後の1969年10月のダイヤ改正で、
電車化されることとなり、11両編成に増強されました。

▼485系化された「はくたか」号 (上野駅)
はくたか01_上野
▲当時は 向日町運転所 の 485系 で運転されていました

向日町運転所の編成は「雷鳥」「しらさぎ」「うずしお」
「みどり」とも共通運用を組んでいた 超広域運用 でした。

▼長岡から信越本線に入り 金沢 へ向かう「はくたか」号
はくたか_JNR_1
▲タイフォン を テールライトの横に装備したタイプのクハ

まだ碓氷峠で強調運転できる交直流電車がなかったことから、
運転経路が上越線経由に変更されたのは、この時からでした。

▼電車時代の編成

はくたか_EC編成
 (出典:日本交通公社 時刻表 1975.3)

1978年10月2日のダイヤ改正(53.10)で、489系化される
も、上越線経由の列車として、運転が続けられました。

▼489系化された「はくたか」号 (金沢行)

はくたか09_信越線

▼53.10 絵入り特急ヘッドマーク記念入場券
はくたか_5310

▼非貫通の 300・700番台車 は スッキリとした印象でした
はくたか06_信越線
▲長岡駅にて(金沢行)
 <長岡駅の駅員さんの許可を得て撮影>

489系 は 金沢運転所 持ちの編成となり、碓氷峠を経由する
「白山」号 との 共通運用 となりました。

▼横軽では山麓側となるクハ489 500番台車 (金沢行)
はくたか_JNR_3
▲▼タイフォン が スカートに装備されているタイプのクハ
はくたか_JNR_4
▲ボンネット車にイラスト入りトレインマークが装備された
 のは 1979年3月 になってからでした (金沢行)

▼横軽では山麓側となる貫通扉のある 600番台車 (上野行)
はくたか08_信越線
誕生以来ずっと1往復の運転でしたが、1979年(昭和54年)
4月のダイヤ改正で2往復に増発されました。

▼日本海を横目に上野へ向かうボンネット「はくたか」号
はくたか_JNR_5
▲個人的には、ボンネット車の「はくたか」が 好みでした

上越新幹線が開業する前日の 1982年11月14日まで、上野
 - 金沢間を走り続け、「はくたか」の愛称は一旦消滅する
のでした・・


▼こんな記録も出てきました (上野駅)
はくたか99_上野
▲1982.11.14 上野発 金沢行 ラストラン「はくたか3号」
 この日の上野駅は 終日こんな感じでしたね・・


▼トレインマーク
「はくたか」のトレインマークは「雷鳥」や「とき」などの
 絵柄と比較すると、マンガチック な 印象がありました。
はくたかHM

 (画像元:愛称別トレインマーク事典


▼やはり オリジナル の トレインマーク が お似合いかと・・
はくたか_JNR_2


485系・489系 特急「はくたか」号(国鉄時代)
おわり