琉球の鉄道 ~沖縄の路面電車(沖縄電気軌道)~

前記事「沖縄県営鉄道」の 廃線跡巡り中に、全く予期してい
なかった「路面電車の保存車両」に出会うことになりました。
そこで、沖縄を走っていた 路面電車について回想いたします。


■沖縄電気軌道のこと
 沖縄には 大正3年~昭和8年まで 沖縄電気軌道さんが運営
 する路面電車が、那覇の市街地を単線で走ってい
ました。

沖縄電気軌道の路線図(超概略版)
沖縄電気軌道 経路略図
▲この路線図では おおよその区間を把握する程度の略表記
 (赤線は 沖縄県営鉄道)

▼開業年表
 ・1914年(大正3年) 5月 3日 大門前 - 首里
 ・1917年(大正6年) 9月11日 通堂 - 大門前

▼停留所名(20駅)
沖縄電気軌道 停留所
 ・通堂 - 首里 間 6.9Km
 ・所要時間 約32分
 ・運転間隔 日中9~18分
 ・開業当初は 大門前 - 崇元寺間の区間運転がありました

▼1930年 (昭和5年) の 路線図那覇市街地版)
沖縄電気軌道 経路図
▲赤丸は おおよその停留所位置を目安程度に示したもので
 実際とは異なります(首里方はデフォルメ表記です)

市街地と丘陵を迂回した 沖縄県営鉄道線 も図示されており、
路面電車線と嘉手納線が、交差していたことがわかります。

交差付近東側には女学校があり、路面電車線の「女学校前」
停留所と、軽便線の「安里」駅が女学校の最寄駅であった
ことから、両駅の乗降客数は多かったそうです。


▼沖縄の路面電車が描かれた図書

おきなわの路面電車
出典:おきなわの路面電車 ニライ社

図書の挿絵のとおり、電車は木造の2軸車で、架線集電装置
は ポール によるものでした。

▼交換設備があった「市場」付近
 (出典:Wikipedia)
沖縄路面_103_
▲路肩には 人力車 の姿が多数見えますね

▼「見世の前」付近
 (出典:Wikipedia)
沖縄路面_105_
▲ポール集電であったことがよくわかります

架線電圧は 直流500Vで、開業当時の沖縄電気軌道さんは、
那覇市を中心に電力を供給していた「沖縄電気」さんの子会
社でしたので、ある意味「自家発電」した電気で電車を運行
していたようなものでした。(後に軌道事業は親会社に吸収)


「泊高矼」付近 (出典:Wikipedia)
沖縄路面_101_
▲軌間は 路面電車には珍しい国鉄と同じ 1067mm でした

軌道事業の親会社直営化で、経営は安定したものの、1929
年(昭和4年)に、ライバルのバス路線が出現すると、利用
客が激減、島内の道路整備の後押しもあって、きめ細やかな
柔軟な対応で路線エリアを拡大してゆくバスの運行戦略には
勝ち目がなく、沖縄の路面電車は、わずか20年という短い期
間で、廃止の運命を辿るのでした。


           *  *  *


■謎の保存電車
 沖縄県営鉄道の廃線跡巡りの途中で出会った、路面電車の
 保存車両です。背後に写る建屋の駐車場の一角に、説明の
 プレートなども一切ない状態で、たたずんでおりました。

▼野外雨ざらしでボロボロの状態で保存されていた路面電車
沖縄_路面電車_07_
▲塗装は南国らしい色彩で、昔の 70系新潟色 にも見えます

 撮影メモを失い、どこで撮影したのか思い出せません・・
 宜野湾市立博物館の駐車場だったか?・・那覇市役所か?・・
 記憶は薄れる一方で・・。

▼前面窓枠には アルミサッシ が あてがわれていました沖縄_路面電車_03_
▲前照灯のガラスもなく痛々しい姿・・

▼側面の窓ガラスもほとんど失っておりました・・
沖縄_路面電車_05_
▲車番とおぼしき標記があります 321 か 123 か・・

 沖縄は塩害が強いため本土仕様車は腐食が進む一方です。

▼ガラスのない窓から車内をパチリ
沖縄_路面電車_09_
▲網棚・つり革・窓枠には「運賃は小銭で~」の掲示も

▼車両の出所については、つり革の広告が手掛かりですが、
 拡大してみたものの残念ながら不鮮明で読めません・・
沖縄_路面電車_11_
▲菱形?のマークの下に「〇〇△△△」と5文字ありますが、
 どこの広告でしょうか

▼反対側からの姿 前照灯上部を覆うカバーが健在でした
沖縄_路面電車_01_
▲集電装置は Z型のパンタ っぽいです
 長崎市電に似たような車体を持つ車両がありますね・・


沖縄の路面電車はすべて木造2軸車だったとされていますの
で、寝台特急「なは」のヘッドマークが贈呈されたように、
この車両もどこかの地で活躍していた路面電車を譲り受けた
ものだと思いますが、この保存車両について、詳細をご存知
の方がおられましたら、助言いただけると幸いです。


琉球の鉄道 ~沖縄の路面電車(沖縄電気軌道)~
おわり