廃線探訪「東武熊谷線 プッチの足跡」VoL.1 ~熊谷・上熊谷編~

かつて埼玉県熊谷市の「熊谷駅」から、大里郡妻沼町(現・
熊谷市)の「妻沼駅」までの間を、東武鉄道さんが経営する
「熊谷線」という非電化の鉄道路線がありました。

■熊谷線在りし日の 熊谷駅の風景
▼熊谷駅に停車中の 東武熊谷線 プッチ こと キハ2000形
KDM_東武熊谷線_熊谷駅2
▲「湘南顔」の両運転台を持つ 全長16.5m の 小型気動車

 (出典:熊谷デジタルミュージアム)

地元では「妻沼線」(めぬません)とも呼ばれ親しまれてい
ましたが、開業以来赤字続きで 1983(昭和58)5月31日
で廃止の運命となってしまいました。
KDM_東武熊谷線_さよならHM
小生は、東武熊谷線廃止前後の時代は、国鉄側で廃止が進む
全国の赤字ローカル線側への活動が最盛期で、とても私鉄線
の活動までは手が回らず、結局、熊谷に訪れることができた
のは「廃止後」となってしまいました。残念・・

▼早く熊谷に出向いて この並びを記録しておくべきでした
KDM_東武熊谷線_熊谷駅
▲終焉間近かにした者同士、何を語り合っていたでしょう・・
 181系は プッチに"新潟の70系"を思い起こしていたかも・・

 (出典:熊谷デジタルミュージアム)

そんなことで、「妻沼中央公民館」(当時) に キハ2000形 が
屋外展示されたということを聞きつけた時に、熊谷から妻沼
までの廃線跡地を辿り、プッチに会いに行くことにしました。


■東武鉄道さんが「熊谷」に 線路を敷いた経緯を見る
 廃線跡地を辿るにあたり、熊谷線の歴史を少々紐解きました。

 熊谷線は、もともとは「軍の命令」で建設された路線でした。
 その目的は、群馬県太田市の中島飛行機工場への要員・資材
 輸送を使命とされ「熊谷駅」と東武小泉線「西小泉駅」間の
 建設が計画されたものでした。

 計画のうち、まず開通したのが 熊谷 - 妻沼間 でした。

▼鉄道路線図(熊谷線周辺抜粋)
(出典:国鉄営業局 旅客事務用)
鉄道路線図
▲赤丸部分の「熊谷 - 上熊谷 - 大幡 - 妻沼」間が「熊谷線」
 (上熊谷 - 大幡間で、国鉄 高崎線 を 跨いでいました)

熊谷 - 上熊谷間は、現在の上越新幹線方にルートをとる計画
でしたが、熊谷から先で秩父鉄道さんをオーバークロスする
ための盛土を構築する時間がなかったため、秩父鉄道さんの
複線化用地と熊谷駅を借用する「仮線ルート」で凌ぐことと
なりました。

妻沼から先の飛行機工場までは、バスによるリレー輸送が行
われたようですが、一旦「妻沼」までの開通となった背景は、
妻沼の先では、大河「利根川」を渡らねばならず、こちらも
橋梁の架設工事には、時間を要する事情があったのでした。

▼利根川河川敷に構築された橋脚
利根川河川敷の橋脚
▲せっかく出来上がった橋脚も 全く使われない運命に・・

 (出典:熊谷デジタルミュージアム)

妻沼から先は第2期工事区間として、利根川橋梁の橋脚工事
も進められたものの、途中終戦を迎え、当初の目的を失った
ことで、工事は凍結され「未成線」となってしまいました。

戦後、熊谷駅から更に南下して、東武東上線の「東松山」迄
の延長が検討されたこともあり、北側の東武小泉線「西小泉」
とが結ばれていたら、東武鉄道さん全線が繋がっていたので
すが、この沿線に奇跡的な需要が生まれない限り、採算性は
見込めないことから、この先の未来もこのルートは「夢物語」
で終わりそうです・・。


■廃線探訪・上熊谷駅の風景
 訪問当時は、まだ熊谷線の熊谷 - 上熊谷間の線路は健在で
 したが、上熊谷駅ホームの熊谷線側には、フェンスが建て
 られていました。

▼上熊谷駅の風景  画面奥が熊谷方面、高架は上越新幹線。
 高崎線を行く 211系 が主役となろうとしていた時代・・
東武熊谷線_廃線跡_3
▲左から 高崎線上下線、熊谷線、島式ホーム、秩父鉄道線。
 今にもプッチが走ってきそうな光景でした・・

 一番手前の高崎線の架線ビームは、秩父鉄道さんのホーム
 側に位置する架線柱を共有していますね。


▼こちらは上の写真とは反対側から見た近年の
上熊谷駅手前
 の風景
Google MAP 2021年10月現在から拝借) 
上熊谷駅_202110
▲熊谷線が通っていた線路の真ん中に 高崎線の架線柱が・・

この様子から熊谷線の廃止後の用地を活用して、JRさんが
秩父鉄道さんとの架線柱共有を解消していることが伺えます。

 
歴史の紐解きでも述べましたが、東武熊谷線が秩父鉄道さん
と並走したこの区間は、もともと秩父
鉄道さんが複線化のた
めに確保した用地で、東武熊谷線が通った場所(熊谷駅を含
む)は、秩父鉄道さんの所有で、東武鉄道さん側は秩父鉄道
さんと結んだ
協定(条件)により、借用していたものでした。

今度はJRさんが、用地の借用協定を結んだ?のか、具体的
なことは把握できておりませんが、時間の経過と共に廃線跡
の痕跡が消え去っていくのは、致し方ありませんね・・

          *  *  *

~ここから先の区間は、第2回の記事へ続きます~


■上熊谷駅 番外編(電車体の飲食店に遭遇)
 熊谷駅から上熊谷駅間は、線路内に足を踏み入れることは
 できないため、この区間は上越新幹線の高架に沿った道路
 を進みながら、秩父鉄道側に近寄れる場所を散策しました。

 すると上熊谷駅の近くで、上越新幹線の高架脚に寄り添う
 形で、なにやら「鉄分」のオーラを感じる建築物が・・

▼奥はワムに窓を設けた容姿、手前は旧型電車の妻面の容姿
東武熊谷線_廃線跡_1
▲ワムの屋根には「BOURBON CLUB」という看板が・・
 (アルコールを提供する飲食店のようです)

足回りは、コンクリートの基礎が築かれ、その上に車体が乗
っかている感じで、配電盤や室外機が取り付けられています。

▼秩父鉄道さんで活躍していた クハニ20形 と 思われます
 (背後には 背の高い上越新幹線の高架脚がそびえます)
東武熊谷線_廃線跡_2
▲制御車1両を半分づつにして、L字形に配置したようです
(ワムを加えた全体では「コの字形」になったレイアウト)

今もネットで検索(上熊谷 BOURBON CLUB)すると、地図上
表示されますので、興味のある方は 覗いてみてください。


廃線探訪「東武熊谷線 プッチの足跡」VoL.1 ~熊谷・上熊谷編~
つづく