気まぐれスナップ「西武鉄道 初代レッドアロー」
~硬券特急券 と 池袋線の踏切番号

私鉄線には、あまりカメラを向けることがない中、西武鉄道
さんの「
初代レッドアロー」を撮った写真と、硬券の特急券
が一緒に出てきましたので、電子化をいたしました。
ただ、半世紀前に撮ったレッドアローの写真は、いい加減な
ゴミ記録であることを、ご勘弁ください。

写真と切符を見て蘇った思い出や、撮影場所の踏切に関する
ことなどを添えて、綴りたいと思います。


■初代レッドアローの写真 と その回想

小生が民鉄さんの特急列車に初めて乗車したのが、西武鉄道
さんの 初代レッドアロー5000系「ちちぶ」号でした。

それまで見慣れていた、肌色の国鉄形特急電車とは、一味も
二味も違うその姿には、大いに魅了され、最大10両編成で運
転された時には、国鉄の特急電車に負けないオーラを感じた
ものでした。

▼西武レッドアロー 5000系「ちちぶ」号 の どアップ写真
西武_5000系_ちちぶ
▲愛称表示板が まだ電照式になる前の オリジナルの姿

この時の記憶をたぐると、新しく誕生した「むさし」を見に
行った時だったと思います。走っている姿をじっくり見れる
場所を求めて、列車の速度が一番遅くなる池袋口をうろつき、
山手線を跨ぐガードの手前(椎名町方)の、線路沿いにある
狭い路地を見つけ、そこから
ねらったものと記憶しています。

ただ、物理的に線路から離れて構えることができない狭い場
所だったため、こんな記録になってしまったのだと思います。


▼肝心の 新特急「むさし」号は おおボケ の 大失敗 でした
西武_5000系_むさし
▲手前の踏切遮断機にピントが合ってしまい、かろうじて
 「むさし」とわかる、毎度お決まりの
大失敗写真です・・

こちらの写真は、列車を引きで撮ろうと、路地の終端にある
踏切から最後尾をねらったものですが、当時使っていたオン
ボロカメラは、シャッターボタンのキレが悪く、少々強めに
押さないとシャッターがキレなかったため、強めに押した際
カメラ本体が若干下を向いてしまい、遮断機が目の前に入り
込んでしまったと想像できます・・。


このよろしくない残念な結果に、撮影に再挑戦しようかと思
ってはいたものの、どうしても国鉄側の列車の方に、足が向
いていたことと、いつでも行けると思う場所ほど、なかなか
出向かないもので、再びカメラを持ってここを訪れることは
ありませんでした。
なんとも、もったいないことをしてしまいました・・。

で、結局のところ、再度 5000系 を まともに撮ったのは、
現役引退後の、横瀬基地で保存された姿のみとなりました。

▼愛称表示板を外した スッピン顔の 5000系
RIMG0047
▼誕生時の愛称表示板「ちちぶ」を取り付けた 5000系
RIMG0094
▲外観はこのままに、構成部品は現代最新技術で装備された、
 「New レッドアロー・クラシック」車 の 誕生を望みます


硬券特急券 と その回想
▼この度 発掘された レッドアロー の 硬券特急券
切符_特急券_ちちぶ
▲列車名、乗車駅間が予め印刷された硬券が用いられた時代
 日付・号車・座席は、窓口氏の人力による捺印方式でした

この特急券に記される「昭和53年4月17日」の「曜日」を調
べてみると「月曜日」でしたが、平日のこんな時間帯から、
飯能までいったい何しに行ったのか、全く思い出せません・・。
なので、どうでもいい、つまらない用事だったのだと思いま
が、特急券だけは、しっかりと持ち帰っていたのでした・・。

そう言えば、この時代のレッドアローの車内では、まだワゴ
ンによる車内
販売があって、車内で飲み物を購入したことを
思い出しま
した。またワゴンの前方正面には、巨大なパッケ
ージの「ボンタンアメ」が、
鎮座していた記憶があります。
ボンタンアメは、大箱の商品があったのか、あるいは商品の
存在をアピールする広告紙だったのか定かではありません。
車内販売
やはり優等列車には、制服に身を包んだ売り子のお嬢さんが
優しい声をかけながら、ゆっくりと近づいてくるシーンが、
欲しくなります。(メイドトレイン は NG です・・)


レッドアローに初めて乗ったのは、この時より前の、まだ
「ちちぶ」しか運転されていない時代でしたが、その時の
特急券は、まだ見つかっておりません。

硬券の特急券は、やはり「特別感」があっていいものです。


■むさしを撮影した 踏切番号 に纏わること
市販の西武池袋線の前面展望映像を見て気づいたのですが、
踏切手前に設置される「踏切動作反応灯」には、踏切の管理
番号と思われる数字が記されており、池袋方を起点として、
駅間単位にシーケンス番号が、ナンバリングされている事を
知りました。

▼「むさし」を撮影した踏切 の 引きの画
(googleMAPより拝借)
第2踏切
▲改めて見ると、路地幅は2mもなく左手にはすぐ住宅が
 立ち並んでおり、これでは電車を撮るのに一苦労ですね

むさしを撮影した踏切は、池袋を起点として、池袋 - 椎名町
間では一番
最初の踏切となるので、その踏切番号は「1」か
と思いきや、なぜか
「2」と、記されていました。

※この数字の業務上の呼称は判りませんので、ここでは 仮に「踏切番号」と
 表現します

▼池袋を出発して一番最初の踏切に対応する踏切作反応灯
西武池袋線_第2踏切_google MAP
「踏切番号=2」と表記されていることが確認できます
 上り線側から 椎名町方面を見た画 
(googleMAP画像に加筆)

その他の駅間では、ほとんどが「1」から始まっているもの
の、途中途中で連番ではなく、欠番となっている箇所がいく
つか存在したことから、過去にあった
踏切がなんらかの理由
で除去されて、その際、踏切番号の振り直しは行われずにい
るのだと思われます。沿線の古地図を探してみれば、過去に
あったであろう踏切の存在が、確認できるかも知れませんね。

一番わかりやすかった極めつけは、石神井公園 - 大泉学園間
で、現在この区間には、踏切が1箇所だけ存在するのですが、
その踏切番号は「10」となっていました。
これは高架化によって最終的にこの区間から、9箇所の踏切
が除去された、ということが読み取れる名残ですね。

▼桜台からの高架区間が終わる 大泉学園駅直前 の 踏切番号
大泉学園_第10踏切
▲ここも現在の踏切数でナンバリングし直すと「1」となる
 べきですが「10」のまま
(池袋線下り線側からgoogleMAPより拝借)

現在一部区間で地下化、高架化工事が行われている新宿線で
も工事完成後は、同様な状態が生まれる可能性がありますね。


          *  *  *


西武線は、沿線に住んでいた訳ではありませんが、小学校の
遠足で、池袋から団体専用電車で秩父線沿線へハイキングへ
行ったり、休日には、豊島園、西武園、ユネスコ村、狭山湖、
芦ヶ久保、秩父といった、西武鉄道さんが展開する行楽地へ
訪れる機会が比較的多かったことから、個人的には親しみの
ある民鉄さんとなりましたが、当時の西武鉄道さんで活躍し
ていた電車の写真は、全く撮っていませんでした・・。

そんなことで、小生所有のNゲージ民鉄車両は、西武鉄道さ
んのモデルが、圧倒的に多く入線することになってしまった
のでした。いつの日か「西武鉄道祭り」を開催しようかと・・。

▼最後は 愛着のある Tomixさん の 5000系 で締め括ります

Tomix_5000系
▲Nゲージ史を語る上でも、はずせないモデルのひとつです
 (グロベン姿の2000系と記念撮影)


気まぐれスナップ「西武鉄道 初代レッドアロー」

~硬券特急券 と 池袋線の踏切番号
おわり