寝台特急「日本海」号 ~20系 + DD51牽引時代 から 14系へ~

日本海縦貫線では、初めての ”寝台特急” と なった、大阪と
青森を結んだ「日本海」号です。

寝台特急が走る前の時代は、既に <日本海> という愛称の
急行列車が、同じ区間に運転されていました。

▼C57 に牽引される 急行時代の「日本海」号
ORC_C57_急行 日本海
それまでの急行 <日本海> の名を 寝台特急へ譲るのですが、
従来の急行スジはそのまま残すことから、急行 <きたぐに>
となって、急行列車の運転も継続されたのでした。

▼43.10 で 誕生する 新特急 に名を挙げた「日本海」時刻表_196810_新設特急一覧
▲日本海縦貫線という表現が 当たり前に使われていた時代
 (出典:日本交通公社 時刻表 1968.10)

▼羽越本線を行く DD51 + 20系 の 下り 青森行「日本海」
ORC_DD51_日本海
▲ナハフ から改造の ナハネフ の姿を見ることができました

 20系時代の「日本海」の青森方に連結された ナハネフ は、
  → ナハフ20 から改造された ナハネフ20
  → ナハフ21 から改造された ナハネフ21
 のいずれかが組成されていましたが、共に外観上はナハフ
 時代の窓割のままで、寝台を
2窓分でワンボックスの区画
 として設けたため、寝台の幅が他車より 230mm広かった
 反面、ナハネフ22 より 1ボックス分 少ない定員となって
 いました。


▼誕生当時の編成案内(日本海 と きたぐに)
編成図_196810
▲編成案内の表記は、まだ等級制度の時代でした

 (出典:日本交通公社 時刻表 1968.10)

--(編成案内表記のプチ解説)---------------------------------------------
 <日本海>
 ・「寝B」:1等寝台=A寝台のBランク(冷房付解放寝台 =ナロネ21)
 ・「寝2」:2等寝台=B寝台に該当(ナハネ20,ナハネフ20,21)
 ・「食」 :食堂車(ナシ20)

 <きたぐに>
 ・「寝B」:1等寝台=A寝台のBランク(冷房付解放寝台 =ナロネ10)
 ・「寝2」:2等寝台=B寝台に該当(スハネ16,オハネフ12)
 ・「1」 :一等車=グリーン車(スロ62)
 ・「2」 :二等車=普通車(雑客 の スハ、スハフ、ナハ、ナハフ)
 ・「食」 :食堂車(ナシ17)

 ちなみに、両列車には ありませんが、
 →「寝A」:1等寝台=A寝台のAランク(個室寝台)
 →「寝C」:1等寝台=A寝台のCランク(冷房なし解放寝台)
 と、1等寝台車 には 3つの区分が存在しました。

 夏場に「寝C」には、乗りたくないですね・・。
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運転開始後、利用客が順調に伸びていき、ただでさえ編成が
短いところに、定員が少ない異端車のナハネフを従えていた
ことから、1年後には一挙にナハネ4両が増結され、カニを
含む13両編成に成長しました。

(関連記事:湖西線開業前の大阪口での EF65牽引時代の記録はこちら

そんな20系寝台車による運転は、1975年3月の改正で終止符
を打ち食堂車も消えて、14系寝台車の時代を迎えるのでした。

▼14系寝台車へ移行した後の「日本海」号

82_まつかぜ
「日本海」の歴史の中で特記すべきは、14系置き換え当初は、
長崎県佐世保市の 早岐客貨車区の編成が充当されたことでし
ょうか。 確か「あかつき」との運用が組まれた国鉄時代なら
ではの広域運用ですが、佐世保から青森までとは驚きでした。


▼最後に「日本海」のヘッドマークを掲げた DD51 1号機 を
DD51-1 日本海
▲1号機牽引の「日本海」も 生で見てみたかったです・・


          *  *  *


「日本海縦貫線」、現在でも線路は繋がってはいるものの、

ここを通して運転される優等列車は途絶え、全線を縦貫する
列車は、貨物列車だけに
なってしまいましたね。
RIMG0035
JR旅客会社さんが定めている「繁忙期」の"期間限定"でも
よいので、JR貨物さんの定期コンテナ
列車に、客車を1,2両
「ついでに」連結して、日本海縦貫線をひたすら走る往年の
優等列車旅を、もう一度堪能できるようにしていただく事は、
できないものでしょうか。
きたぐに_2
是非、ご検討をお願い申し上げます・・


寝台特急「日本海」号 ~20系 + DD51牽引時代 から 14系へ~
おわり