思い出のスナップ 「高二(タカニ)訪問記」

■第1章「客レドン行で高崎へ」
  上野駅から機関車牽引の普通列車が走っていた時代の記録です。
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  普段「国電のりば」の文字しか目にしない生活の中、
  この「列車のりば」の文字を見るだけで、旅情を掻き立てられました。
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  終点高崎まで、上越仕様のEF58のお世話になります。
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  季節は夏ですが冷房などありません。窓を開けるのがあたりまえの時代です。
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  ゴハチの汽笛とモーター音を満喫すべく先頭客車に乗車です。
  風通しをよくするために、デッキとの仕切り扉も開け放ったまま出発です。
  ゴハチの鼻筋がよく見えます。
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  この客レドン行は、上野を早朝に出発するため、途中上野へ上ってくる
  寝台列車とすれ違うのも楽しみの一つでした。
  朝日を浴びた20系もまだ元気でした。
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  途中の熊谷駅で15分の小休止、後続の特急列車2本に道を譲ります。
  追い抜てゆく新型の183系は、子供達の人気物になりました。
  背後では、上越新幹線の工事が始まったところです。


  この客レドン行列車に充当された客車自体の仕業は、碓氷峠を越えて、
  はるばる新潟県側まで運用されていました。
  (上野→高崎→軽井沢→長野→妙高高原→直江津→柏崎→長岡→新潟)

  主要駅で列車番号と行先を変えながら、まるまる1日かけて日本海側へ
  ひた走ります。途中回送など一切ない仕業だったため、その気になれば、
  上野から仕業全行路を乗り通すことが可能でした。
  (長岡→新潟間は、信越線下り最終普通列車のスジでした)



■第2章「ムーミン、また来たよ!」
  客車列車の旅は高崎駅で終了。名物駅弁「だるま弁当」を引っ提げて、
  私達の目指す今回の観光地(?)「高崎第二機関区」(通称「高二」)へ向かいます。
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  準鉄道記念物のEF55は、当時はだれでも自由に入れてしまう
  雨ざらしのオープンな場所に静かに佇んでおりました。
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  警備員、監視カメラ、ひいては柵すらないおおらかな時代。
  イベント公開日でもなんでもない"普通の日"に、いつでもこんな状態で
  出会えることができました。
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  別の目的で何度か高一、高二を訪れていますが、EF55のパンタは
  常に上がっておりました。
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  車体背後は後方にある転車台まで立ち入らないと撮影ができませんでした。
  どんなにおおらかな環境でも「線路内立ち入りだけは絶対に避ける」
  という信念のもと、その記録はありません。
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  この先、まさか本線へ復帰するなど考えもしなかったことです。
  まだ復元前の国鉄時代の記録です。


■最終章「高二構内潜入!」
 「線路内立ち入りだけは絶対に避ける」と舌の根が乾かぬうちに
  信念を破った?記録です。
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  とは言ってもこれは、現場の職員の方から「眠っている機関車も撮るのか」と
  声をかけられ「それなら今の時間帯なら安全な場所があるからついて来なさい」
  と、なんと親切に構内へ案内されたのです。
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  ご覧のとおり「眠っている機関車」ですので「全てパンタを降ろしている状態」の
  記録となっております。それでも当時は大変嬉しい出来事でした。
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  高二へ足を運んだのは、撮影の効率がよいからで、当時はまだデジカメなどなく、
  フィルム代+現像代と何かとお金もかかり、出来栄えも現像するまでわからない時代、
  1箇所で短時間のうちに複数の車種がバシバシ記録できる機関区、電車区、客車区に
  自然と足が向きました。
  良く言えば「効率的」、悪く言えば「せこい」撮り鉄でした・・。

  この時お声をかけてくださった、高二の職員の方、大変ありがとうございました。


思い出のスナップ 「高二(タカニ)訪問記」
おわり