169系 急行「信州」号 と キハ58系列 急行「そうま」号
~上信越のグリーン車付き普通列車 と 常磐線のレア普通列車~

上野 - 長野間を結んでいた、急行「信州」号です。
当時信越地方の優等列車といえば、エル特急「あさま」号
よりも、急行列車群の方に親近感がありました。
<軽井沢> <志賀> <妙高> <越前> <赤倉> <とがくし>
等々・・。

▼上野へ上ってきた 169系 急行「信州2号」
(1975.5)
169_信州
上野方に Mc+M´が組成される横軽の主 169系の最盛期
 列番を拡大すると 信越線内の普通列車 330Mのままで・・

当時の上野口の急行列車は、地方の末端区間を普通列車とし
て運転していた列車が多数あり、普通列車区間もグリーン車
は営業扱いでしたので、その区間内では普通列車用グリーン
券(自由席)で利用することが可能でした。

時刻表にも該当列車には、グリーン車の記号がありました。
(時刻表出典:日本交通公社 時刻表 1975.3)

▼信越線上り時刻表の一例

時刻表_197503_信越線上り_1
中軽井沢発 高崎行 128M と 長野発 軽井沢行 330M の
 欄に、グリーン車のマークが示されています
 330 Mは 上野行 304M 急行「信州2号」への 継承列車

写真の「信州2号」は、長野 - 軽井沢間は、330M 普通列
車として運転され、軽井沢から先は 304M 急行「信州」と
なって上野へ上りました。

▼急行「信州」のサボ
サボ_急行信州

信越線下り時刻表の一例
時刻表_197503_信越線下り_2
高崎発 軽井沢行 135M と 軽井沢発 長野行 355M の欄に
 グリーン車のマークが示されています
 355M は 上野発 311M 急行「信州5号」からの 継承列車

信越線での一例を取り上げましたが、高崎駅に発着する上越
線・吾妻線・両毛線の列車にも、同様の扱いでグリーン車付
きの普通列車があり、急行形車両で運転されることを
時刻表
から知ることが
できました。


当時の 急行「信州」と「志賀」の 編成
編成表_197503_信州&志賀
▲サロ2両に加え、まだ サハシ が 組成されていました
 上野から長野電鉄「湯田中」にも直通できていた時代・・

(編成出典:日本交通公社 時刻表 1975.3)


上野口でも、夕方以降に到着した急行列車の折り返し運用で
普通列車となるケースがありましたが、こちらはグリーン車
を「普通車扱い」とした列車もあったことから、これを存知
している通勤者は、予めグリーン車の扉の位置に並ぶ「計画
的犯行」を密かに実行、定期券のみでリクライニングシート
に身を置いて、帰路についていたのでした。


          *  *  *


■派生話・・(常磐線のレア普通列車)
1975年当時で特記すべきは、常磐線 下り最終の普通列車で、
上野23時24分発 水戸行は、なんとキハ58系列で運転される
気動車によるグリーン車付きの普通列車が存在しました。

この列車は、仙台発
 常磐線経由 上野行の急行「そうま1号」 
212D の折り返し列車で、キハ58のねぐらである水戸へ戻す
運用が組まれていたものです。

▼上野駅 高架11番線 で発車を待つ 常磐線 497D 普通列車
キハ28_急行そうま1号
この日の方向幕は、急行<そうま1号>で 到着したまま、
 「普通」と変更されない怠慢状態で折り返しました・・

まあ日暮里を出れば、松戸・我孫子・取手・・と準急行列車
のようなものでしたし、東京近郊区間から外れる土浦から先
は、石岡と友部以外は通過するダイヤで運転されていました。

▼常磐線
下り時刻表
時刻表_197503_常磐線下り
▲上野から発車する気動車による最後の定期普通列車であっ
 たことから、記念に上野から日暮里まで乗っておきました


169系 急行「信州」号 と キハ58系列 急行「そうま」号
~上信越のグリーン車付き普通列車 と 常磐線のレア普通列車~
おわり