急行「津軽」号 ~出世列車の編成は次第に降格を感じ~

上野 - 青森間を結んだ、夜行急行「津軽」号。

愛称名自体は、1954年から運転された上越・羽越線経由の
臨時夜行急行に付けられたものでしたが、1956年から
東北
・奥羽線経由の定期夜行の名として召し上げられました。

▼1964年10月改正時の編成 東海道新幹線が開業した時) 
津軽_編成図_196410
▲等級制時代の「寝B」の表記は1等寝台車のBランク車
 ※記号の詳細は「上野発の夜行列車~新星」記事をご参照ください
    (出典:日本交通公社 時刻表 1964.10)


上野口の牽引機は、EF57 と EF58 が 担当していましたね。

EF58が牽引する「津軽」号
ORC_EF58_津軽jpg
1965年10月改正から東北新幹線が本格開業する1982年11月
改正直前まで、2
往復体制で運転されていました。

往復体制直後の編成
津軽_編成図_196510
▲403レ・404レには 郵便車が上野-米沢間で連結されました
   (出典:日本交通公社 時刻表 1965.10)

連なる客車は、荷物車や郵便車を引き連れて、スロフなどの
グリーン車に、10系寝台・10系座席、12系、20系、14系寝
台、14系座席と、時代によって、様々な組み合わせを見るこ
とができた列車でした。

▼EF57が牽引する「津軽」号
ORC_EF57-14_津軽jpg
▲機関車次位には2両の荷物車とグリーン車の等級帯をまと
 ったスロの姿が確認できます。

このイオカードの写真に写る組成から、1969年10月 改正以
降の記録と思われます。季節は客車の足回りに雪が見えるの
で東北地方の降雪期であることも想像できます。

この時代の寝台車は 10系寝台、座席車は ナハ11 や オハ47
などの系統で組成されていました。


▼10系寝台+12系時代の「津軽」号
 寝台車は10系のまま、先に座席車が12系化されました。
ORC_ED75_津軽
1978年10月改正後▲
 6~11号車の6両 が 
12系化
津軽_編成図_197810
▲ロザ+10系寝台と12系の組み合わせとなった時代
 402レ・405レの 秋田解結 ハネ2両は 秋田区の所属(他は尾久区)
  (出典:日本交通公社 時刻表 1978.10)


上野で「秋
アキ」なんていう表記を見るとワクワクしました。


■以後も短い周期で「津軽」の編成は変化の歴史を歩みます。
1980年10月改正
 ロザの連結が消滅し、12系によるハザ1両自由席を増結し
 12系が7両に
津軽_編成図_198010
※10系寝台車と荷物車は、この改正が最後の運用に
  (出典:日本交通公社 時刻表 1980.10)

上のイオカードに写る ED75次位に ハネ と ロネ が1両つづ
連なった姿は、奥羽線秋田以北の組成で、ロザ と 荷物車 の
姿もないことから、1980年10月改正後の 上り「津軽2号」
の記録と思われます。

▼1982年11月改正
(東北新幹線が本格開業した時)
 ALL 20系化。座席車(自由席)にナハ21が組み込まれ、
 ハザ+ハネ+ロネの組成で、津軽史上一番の編成美の姿に

上野方「電」の表記が 20系時代である証
津軽_編成図_198211
運転本数は 従来の2往復体制から1往復に削減されました
  (出典:日本交通公社 時刻表 1982.11)

▼1983年7月改正
 ALL 14系座席車化。ハザ のみとなる
14系座席車1
▲幕に「青森」の表示がなければ、まるで臨時列車の容姿に

▼1984年2月改正
 14系寝台車が連結され、再度寝台が復活しましたが、ロネ
 なしの ハネ+ハザ となる

▼1985年3月改正
 再度寝台車が消滅、ALL 14系座席車の ハザ のみとなる

 晩年期の編成

津軽_編成図_198803
▲まだ車内で堂々と喫煙ができた時代、次第に禁煙の声が
 届き始め、「禁煙」が 設定されるようになりました
 
(出典:日本交通公社 時刻表 1988.3)

禁煙車の車内は 夜行列車には NG の エンジン騒音付で・・
14系座席車2
▲おまけに 禁煙車自体から「煤煙」を まき散らします・・

▼1990年9月から 583系化
ORC_583_津軽
▲トレインマークは「急行」の2文字表示に終わりました・・

出稼ぎの人や集団就職で上京した方々にとって、「津軽」に
乗って故郷へ帰るのが ステータス で、「出世列車」と呼ば
れるようになったことは有名ですが、14系化された以降は、
出世の地位をアピールする最高峰であった「ロネ」から降り
立つことが、叶わなくなる組成になってしまいました・・。

(まあ、この頃は、寝台特急「あけぼの」から降り立つのが、
 その代わりとなっていた時代ではありましたが・・)


▼約30年前、上野から電車化された「津軽」に一晩揺られて
 奥羽本線 鷹ノ巣駅 に 降り立った時の記録・・
583_津軽_鷹ノ巣駅
▲これはこれで 栄光の 出世列車 に 乗れた よき思い出に・・

この 583系「津軽」に乗った時の 福島 - 山形間は、奥羽本
線への山形新幹線直通化の改軌工事の関係で、仙山線経由で
運転されていたと記憶しておりますが、仙山線上での記録を
怠りました・・



▼1992年7月改正 485系化・・
ORC_485_津軽
 花の特急形電車が急行列車に充当された訳ですが、
 「津軽が都落ちした」・・という心境になりました・・


こうして、改めて移り変わりを振り返ってみると・・、
ORC_津軽_1
やはり「津軽」と
いう列車には、昭和の「出世列車」と呼ば
れていた、機関車が牽引する 雑多な客車による編成時代 
が、
ORC_津軽_3
1番のお似合だった と(小生は)感じてしまうのでした・・。



          *  *  *


EF57、EF58、10系寝台車、雑客は、当時は見飽きた「あり
ふれた古い車両」、という括りであったことから、積極的に
真剣になってカメラを向ける意識が薄かったというのが実態
で、後になって オレカ・イオカ の写真を求めることに・・。

なんとも、もったいないことをしてしまったものです。
一期一会を大切に!
 

急行「津軽」号 ~出世列車の編成は次第に降格を感じ~
おわり