会津若松運転区【仙ワカ】と 近隣駅でのスナップ
磐越西線の前身は、民間資本の岩越鉄道(がんえつ鉄道)が
敷設した路線でした。
▼岩越鉄道株式会社 の 社紋
▲取締役会長は、あの「渋沢栄一」氏でした
→会津に鉄道を - 岩越(がんえつ)鉄道の創業
(渋沢栄一記念財団さんのサイト)
郡山 - 喜多方を開業した後に 国有化 され、「岩越線」と
いう線名を名乗っていました。
▼「岩越線」の表記が残る 開業から間もない頃の 絵はがき
(出典:土木学会 土木図書館所蔵)
▲橋脚が花崗岩を積み上げられて作られた 明治の文化遺産
喜多方 - 山都間に架かる 「一ノ戸川鉄橋」
現在も現役で使われ、撮影スポットとなっていますね。
→現在の情景
ニッポン旅マガジン(一般社団法人プレスマンユニオンさんのサイト)
そんな歴史ある磐越西線に、国鉄時代のまだ客レが主役だっ
た頃に訪れた、会津若松方での記録です。
新しいディーゼルカー キハ40 の導入で、客室設備や走行機
器も刷新され、従来車よりエンジン出力が若干増強されるも
自重の増加でそのパワーが相殺される始末で、走りの性能的
には従来車と大差なく、重たいキハ40が連結されない方が、
かえって加速がよかったと肌で感じるほどでした。
▼既に使い込まれてタラコ色の光沢を失った姿の キハ40
▲後ろはキハ26でしょうか。ぶどう色雑客もまだ元気でした
新しいキハ40は、とにかく加速が悪く、鈍足であることが大
きく目立つこととなり、せっかくの新車がとても残念に思え
たことを覚えています・・。
▼会津若松駅に停車する客レの姿
▲プラットホームに並ぶ無機質なイスと広告が賑やかです▼
▲奥にいた荷物車は 新しい マニ50 が活躍を始めていました
▼キハ23 を先頭にした 国鉄・会津線時代の列車
▲左に見える黒貨車の貨物列車の姿もまだ日常の光景でした
訪れた時間帯は気動車と客車しかいなかったので、ここまで
の記録は、架線柱とビームが邪魔に感じる画面となりました。
■側線が賑やかだった広田駅
会津若松駅から新津方へ1駅目の"広田駅"のスナップです。
▼奥で待機している機関車は、磐越西線の主 ED77
▲名所案内だけ入れて磐越西線の駅であることを捉えた一枚
屋根もない未舗装のホームに、花壇や樹木が直に植えられて
いるのどかな情景で、ベンチも隣の会津若松駅とは全く異な
り、手作り感満載の木製で温かみのあるものでした。
ED77は福島機関区の配属でしたが、仕業路線は磐越西線で
あったため、会津若松運転区 に常駐し 運用されていました。
▼広田駅 周辺航空写真
(Googlo MAP 加筆)
昔、広田駅からは、住友大阪セメントさんの専用線が伸び
ていて住友さんの所有するスイッチャーの姿もあり、JR
時代までセメント列車の運転があったと記憶しております。
この時待機していた ED77 も、専用線の貨車を相手にする
仕業だったのでしょう。当時は三菱製鋼広田製作所さんへ
伸びる専用線も存在していたため、駅の側線が賑やかだっ
た時代でありました。
会津若松運転区【仙ワカ】と 近隣駅でのスナップ
おわり
磐越西線の前身は、民間資本の岩越鉄道(がんえつ鉄道)が
敷設した路線でした。
▼岩越鉄道株式会社 の 社紋
▲取締役会長は、あの「渋沢栄一」氏でした
→会津に鉄道を - 岩越(がんえつ)鉄道の創業
(渋沢栄一記念財団さんのサイト)
郡山 - 喜多方を開業した後に 国有化 され、「岩越線」と
いう線名を名乗っていました。
▼「岩越線」の表記が残る 開業から間もない頃の 絵はがき
(出典:土木学会 土木図書館所蔵)
▲橋脚が花崗岩を積み上げられて作られた 明治の文化遺産
喜多方 - 山都間に架かる 「一ノ戸川鉄橋」
現在も現役で使われ、撮影スポットとなっていますね。
→現在の情景
ニッポン旅マガジン(一般社団法人プレスマンユニオンさんのサイト)
そんな歴史ある磐越西線に、国鉄時代のまだ客レが主役だっ
た頃に訪れた、会津若松方での記録です。
新しいディーゼルカー キハ40 の導入で、客室設備や走行機
器も刷新され、従来車よりエンジン出力が若干増強されるも
自重の増加でそのパワーが相殺される始末で、走りの性能的
には従来車と大差なく、重たいキハ40が連結されない方が、
かえって加速がよかったと肌で感じるほどでした。
▼既に使い込まれてタラコ色の光沢を失った姿の キハ40
▲後ろはキハ26でしょうか。ぶどう色雑客もまだ元気でした
新しいキハ40は、とにかく加速が悪く、鈍足であることが大
きく目立つこととなり、せっかくの新車がとても残念に思え
たことを覚えています・・。
▼会津若松駅に停車する客レの姿
▲プラットホームに並ぶ無機質なイスと広告が賑やかです▼
▲奥にいた荷物車は 新しい マニ50 が活躍を始めていました
▼キハ23 を先頭にした 国鉄・会津線時代の列車
▲左に見える黒貨車の貨物列車の姿もまだ日常の光景でした
訪れた時間帯は気動車と客車しかいなかったので、ここまで
の記録は、架線柱とビームが邪魔に感じる画面となりました。
■側線が賑やかだった広田駅
会津若松駅から新津方へ1駅目の"広田駅"のスナップです。
▼奥で待機している機関車は、磐越西線の主 ED77
▲名所案内だけ入れて磐越西線の駅であることを捉えた一枚
屋根もない未舗装のホームに、花壇や樹木が直に植えられて
いるのどかな情景で、ベンチも隣の会津若松駅とは全く異な
り、手作り感満載の木製で温かみのあるものでした。
ED77は福島機関区の配属でしたが、仕業路線は磐越西線で
あったため、会津若松運転区 に常駐し 運用されていました。
▼広田駅 周辺航空写真
(Googlo MAP 加筆)
昔、広田駅からは、住友大阪セメントさんの専用線が伸び
ていて住友さんの所有するスイッチャーの姿もあり、JR
時代までセメント列車の運転があったと記憶しております。
この時待機していた ED77 も、専用線の貨車を相手にする
仕業だったのでしょう。当時は三菱製鋼広田製作所さんへ
伸びる専用線も存在していたため、駅の側線が賑やかだっ
た時代でありました。
会津若松運転区【仙ワカ】と 近隣駅でのスナップ
おわり
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