489系 急行「能登」号 ~福井行 と 金沢行~
上野と金沢・福井を結んだ 489系時代の急行<能登>号です。
▼特急<白山>と共通運用となった時代。隣には583系の姿も
▲乗降扉を先に開放し 乗り込む乗客に視線を向ける車掌さん
1994年12月のダイヤ改正で、運転区間が「福井」まで定期
化されたことを記念して、 上野 - 福井間の「通し乗車」と
489系での「夜行横軽乗り納め」を目的に、仲間達と乗車す
ることにしたのでした。
▼この日は 全検出場直後 のような ピカピカ な 装いでした
▲<能登> の トレインマーク も 大変お似合いですね
▼<急行能登 福井行> の 方向幕 とともに 仲間達と記念撮影
▲フラッシュの反射で ちょっと とんでしまいましたね・・
(四半世紀前、皆まだ髪は黒々フサフサでお肌にもハリがありますなあ~・・)
当時の上野発車時刻は 23時58分。 高崎線の最終普通列車が
発車した後であったことから、上野口では 終電を逃した通勤
客の <救済ホームライナー> 的な列車にもなっていました。
特に週末には、多くの通勤客が入り交じり、大宮・熊谷まで
は、かなり混雑しており、慣れた方は一目散に <ラウンジ &
コンビニエンスカー> を陣取っておられました。うっかり寝
過ごすと「知~らな~い街」に、連れていかれてしまいます。
▼JR東日本高崎支社さん 販売の オレンジカード
▲隣の車両は ムーンライト塗装の 165系 の 姿がありますね
通勤客のいなくなった車内は 減灯 され、ようやく夜行列車
らしい車内環境となり、<夜汽車旅> を 堪能いたしました。
終点「福井」には、明朝 ナナ時50分に 到着いたします。♪
▼当時の車内放送
→ YouTube 城崎かすみさま
【車内放送】長野経由福井行時代の急行「能登」
(489系 能登版「鉄道唱歌」 上野発車前~発車後)
* * *
▼こちらは 別の日に乗った 特急標準色の 489系 <能登> 号
▲タイフォン を スカート部 に 搭載したタイプ の お顔です
後に上野口での混雑緩和のために、発車時刻を早めたことで、
以前よりは、出発から落ち着いた雰囲気で過ごすことができ
るようになりましたが、それでも着席目的で通勤の足として
ご利用される方々は散見されました。
▼運転区間 が 短縮され「金沢」まで となった時代の記録
▲「方向幕」という アイテム も 徐々に 過去の産物に・・
碓氷峠が廃止された後、客レ時代 の 上越線経由 で しばらく
運転され続けましたが、2010年3月のダイヤ改正で 定期列車
の運転は、なくなってしまいました。
▼「さよなら急行 能登」の 下敷き
▲「2010年3月12日」は 最後の 定期列車 が 発車した日付
一時期、富山、金沢地区への出張が多かったため、寝台特急
<北陸> と、急行 <能登> には、大変お世話になりました。
* * *
■489系に会いに行く
初期型 の 制御車 2両 に 出会えることができます。
【クハ489-501】
489系 急行「能登」号 ~福井行 と 金沢行~
おわり
上野と金沢・福井を結んだ 489系時代の急行<能登>号です。
▼特急<白山>と共通運用となった時代。隣には583系の姿も
▲乗降扉を先に開放し 乗り込む乗客に視線を向ける車掌さん
1994年12月のダイヤ改正で、運転区間が「福井」まで定期
化されたことを記念して、 上野 - 福井間の「通し乗車」と
489系での「夜行横軽乗り納め」を目的に、仲間達と乗車す
ることにしたのでした。
▼この日は 全検出場直後 のような ピカピカ な 装いでした
▲<能登> の トレインマーク も 大変お似合いですね
▼<急行能登 福井行> の 方向幕 とともに 仲間達と記念撮影
▲フラッシュの反射で ちょっと とんでしまいましたね・・
(四半世紀前、皆まだ髪は黒々フサフサでお肌にもハリがありますなあ~・・)
当時の上野発車時刻は 23時58分。 高崎線の最終普通列車が
発車した後であったことから、上野口では 終電を逃した通勤
客の <救済ホームライナー> 的な列車にもなっていました。
特に週末には、多くの通勤客が入り交じり、大宮・熊谷まで
は、かなり混雑しており、慣れた方は一目散に <ラウンジ &
コンビニエンスカー> を陣取っておられました。うっかり寝
過ごすと「知~らな~い街」に、連れていかれてしまいます。
▼JR東日本高崎支社さん 販売の オレンジカード
▲隣の車両は ムーンライト塗装の 165系 の 姿がありますね
通勤客のいなくなった車内は 減灯 され、ようやく夜行列車
らしい車内環境となり、<夜汽車旅> を 堪能いたしました。
終点「福井」には、明朝 ナナ時50分に 到着いたします。♪
▼当時の車内放送
→ YouTube 城崎かすみさま
【車内放送】長野経由福井行時代の急行「能登」
(489系 能登版「鉄道唱歌」 上野発車前~発車後)
* * *
▼こちらは 別の日に乗った 特急標準色の 489系 <能登> 号
▲タイフォン を スカート部 に 搭載したタイプ の お顔です
後に上野口での混雑緩和のために、発車時刻を早めたことで、
以前よりは、出発から落ち着いた雰囲気で過ごすことができ
るようになりましたが、それでも着席目的で通勤の足として
ご利用される方々は散見されました。
▼運転区間 が 短縮され「金沢」まで となった時代の記録
▲「方向幕」という アイテム も 徐々に 過去の産物に・・
碓氷峠が廃止された後、客レ時代 の 上越線経由 で しばらく
運転され続けましたが、2010年3月のダイヤ改正で 定期列車
の運転は、なくなってしまいました。
▼「さよなら急行 能登」の 下敷き
▲「2010年3月12日」は 最後の 定期列車 が 発車した日付
一時期、富山、金沢地区への出張が多かったため、寝台特急
<北陸> と、急行 <能登> には、大変お世話になりました。
* * *
■489系に会いに行く
初期型 の 制御車 2両 に 出会えることができます。
【クハ489-1】
→現在は、京都鉄道博物館 で 展示されています
▼通常は外観を拝む状態ですが、たまに車内公開もあります
▼通常は外観を拝む状態ですが、たまに車内公開もあります
【クハ489-501】
→土居原ボンネット広場 で 展示されています
※<クハ489-501 ボンネット型特急電車保存会> さまの
サイト は こちら
※<クハ489-501 ボンネット型特急電車保存会> さまの
サイト は こちら
489系 急行「能登」号 ~福井行 と 金沢行~
おわり
コメント
コメント一覧 (4)
勝手、大阪に住んでいたが、初めて、東京に行くとき、大阪から福井まで、雷鳥で行き、福井から急行能登で上野に行きました。1996年の秋でした。2004年まで大阪に住んでいたので
、年1回東京に行くときは、往復、雷鳥と能登を乗り継で行きました。急行:能登は、東京と北陸を結ぶ以外にも、東京と大阪を結ぶ役割もありました。東海道線には、座席夜行が無いので、北陸回りの雷鳥と能登の方が安かったです。
波浪規定
がしました
急行能登号、今となっては少々懐かしい気もします。一時期福井行なんて云うのもありましたね。当時上越線沿線に住んでいましたが、あけぼのや北陸と一緒に走っていたのをよく覚えています。北陸号とともに上下とも深夜帯の通過でありましたから直接見る機会はそう多くなかったものの、皆が寝静まった闇夜をひた走る姿をたまに見ると何か特別なものを感じていました。H22.3のダイヤ改正で北陸は廃止、能登も臨時化されましたが、臨時化後もそう長くなくいつの間にか消えてしまいましたね。今ではあけぼのも無くなり夜の上越線もすっかり寂しくなってしまいました。
波浪規定
がしました