北陸の盲腸線 ~城端線・富山県初の鉄道路線

高岡 - 城端間 を結ぶ <城端線> (じょうはなせん)は、
もともと中越鉄道という私鉄線が 明治30年に 黒田仮停車場
- 福野間を開業したのが始まりで、富山県で一番最初に開業
した鉄道路線でした。

▼中越鉄道開業当時の福光駅

中越鉄道開業当時の福光駅
(出典:富山の鉄道のあゆみ)

当時、官営鉄道の北陸線は開業しておらず、高岡駅の位置が
未定だったことから、高岡側は仮駅として <黒田仮停車場>
が設置され、同年中に <城端> まで 開業しました。

▼国鉄 客レ時代
 @ (出典:ab-books)
城端線_客レ
▲郵便荷物合造車が中間に入った雑多な組成がいい感じです

北陸線の高岡駅の予定地が決まってから 黒田 - 高岡間を明治
31年1月 に開業しましたが、北陸線が 高岡駅に到達したのは
同年の11月でした。明治33年には中越鉄道の手で氷見方面へ
延伸され、高岡 - 伏木間 が 開業しています。

▼国鉄 一般形気動車時代 @ (出典:ab-books)
城端線_キハ47
▲この地域特有の屋敷森に囲まれた散居村情景が魅力的です

大正9年に国有化され、その当時は 伏木 - 高岡 - 城端間 が
「中越線」という路線名となりました。
高岡 - 城端間 が「城端線」となったのは 昭和17年になって
からで、伏木 - 高岡間は「氷見線」に 編入されました。

▼フラワーライン の愛称で アピールされた 金沢局のパンフ
城端線_フラワーライン
国鉄時代末期に、城端線の沿線にチューリップ畑があること
や 城端(じょうはな) を「常花」とあやかって「フラワー
ライン常花線」 と 捩って、
イメージアップを展開しました。

▼城端線フラワーライン完成記念 入場券(城端駅)
キップ_城端線_フラワーライン_城端駅
▲各駅にも花壇が設けられ乗客の目を楽しませてくれました

下の写真では、駅舎に掲げた看板が端しか写っていませんが
「フラワーラインは ウキウキライン! ようこそ城端線へ」
という看板が、各駅に掲示されていました。

▼城端駅で発車を待つ 快速高岡行 初代高岡カラー の キハ40
城端線_キハ40
▲この頃は 日中は 単行の快速列車 も 設定されていました

国鉄民営化後は、JR西日本さんの路線となり、高岡区カラー
をまとったディーゼルカーが 行きかうようになりました。
ローカル輸送に使命を変えた、急行形ディーゼルカーも新た
な装いで活躍をした時代もありました。

▼新カラーをまとったキハ58系列で組成された城端線の列車
城端線_キハ58
▲高岡の市街地を抜けると 緑が美しい平野を駆け抜けます

上の写真に写る2両目は、高山鉄道部カラーの両運転台車
キハ53 でしょうか。
このキハ53はクーラーを載せていますが、単行運用となった
場合は、冷房が使えないという運命を背負っていました・・。


2015年に開業した北陸新幹線との接続駅となる「新高岡駅」
が 城端線に設けられ、新たな役割 が 与えられました。

▼新幹線高架下に 単線片面ホーム1面 の ミニ設備で交差
新高岡駅_2015
▲駅前の一画には田植えを終えた田んぼが残されていました

新高岡駅の住所は「富山県高岡市下黒田」で、中越鉄道時代
の仮停車場の駅名に使われた「黒田駅」を 想い起こします。
位置的にも、新高岡駅から南へ約400m程の場所にあったこと
から、神様の計らいで <黒田仮停車場> が 復活戦にのし上が
ったようにも思えました。

富山県の鉄道の歴史を鑑みれば「黒田駅」という名が尊重さ
れるべきとも思うところですが、新幹線の駅名となると致し
方なしといったところですね。


          *  *  *


記憶があいまいになっているのですが、確か城端線の車窓か
ら、緑の平野の中に建つ建屋に「吉田栄作製作所」と大きな
文字だけが書かれた看板を見た記憶が残っています。

当時売れっ子の俳優さんと同姓同名の方の経営者がおられた
のか、あやかり、もしくは ウケ狙い だったのかは、定かで
はありませんが、妙に記憶に刷り込まれた看板でした。
今でもこの看板は健在なのでしょうか・・。


※ @印 のお写真は 牧野和人様 著 <北陸本線思い出アルバム> から
  拝借させていただきました


北陸の盲腸線 ~城端線・富山県初の鉄道路線
つづく